2018年05月04日

この2か月のこと、母と姉のこと

母が亡くなる前の2か月間、たまたま私は短期の仕事をしていた。

この年齢になって、フルタイムでの仕事など、なかなか見つかるものでもなく、
ましてや、勤務してみませんかとの誘いなど、滅多に無いので、それなりに
収入も得られるし、短期ならと、思い切って勤めたのだった。

勤め始めて数日後に、母が入院となり、2か月間だけとはいえ、こんな時に仕事
などしている場合だろうか、と悩みつつの毎日だった。
でも姉がついているし、毎日付き添わねばならない状況でもなく、
土曜日か日曜日には、少しの時間、お見舞いに行っていた。

一時は 流動食だったけど食事もとれて、家に帰れるかも、と期待を持った時も
あったのだけれど、長くは続かず、すぐに何も食べれなくなり、点滴されていた。

そのうち、眠っているばかりとなり、お見舞いに行っても寝顔を少し見て帰るだけ
のようになった。
腎臓が悪く、このまま何も処置をしないと毒素が排出されずに死ぬのを待つだけだ
とのことで、高齢の母の体に負担がかかり過ぎるのではとの懸念もあったが、
姉が決断をし、透析を受けることとなった。 

結局は透析を受けたことで、母も余計に体力を消耗し、死期を早めることになった
のではとも思うが、これは後でだからこそ言えることで、その時点では 姉もそう
決断をせざるを得ない状況だったのだと思う。

毎朝職場に向かいながら、母のことを考えていたが、仕事中はそんな暇もなく、
母のことは忘れて仕事に没頭していた。 2か月間だけだからと、割り切れた
からであって、ずっと続けたいと思えるような仕事でもなかった。

職場の人間関係もいろいろで、当然、嫌なことも少しは経験した。
少しの間だからと割り切って我慢したけど、相性が悪かったり面倒な人はどこに
でもいる。いずれにせよ、それなりに収入が得られたのはありがたかった。

勤めの最後の週は 毎日帰りにその足で病院へ寄った。
仕事が終わる前日、病院に寄り、家に戻って程なく、姉から電話があり、病院から
母の容態が急変したので身内で呼べる人は呼んでと連絡が入ったという。

娘と二人、車で実家によって姉を乗せ、病院へ駆けつけた。
先に次兄夫婦が到着し、すぐ後で私と姉も到着し、長兄も駆けつけるはずだったが、
救急処置で何とかその時は命を取り留め、長兄には来なくてもいいと連絡し、
その晩は姉と私が交代で付き添った。

朝方から、血圧も安定し、付き添わなくても大丈夫と言われ、一旦家に帰り、
仕事の最終日だったので、ほとんど眠らずだったけれど、会社へ出勤し一日
働き、退職の挨拶も一応することが出来た。

その足で再び病院へお見舞いに行ったが、血圧は安定していると言われたが、
母はむくんで見る影もなく、延命処置で生かされているだけの状態なのが分かった。
翌日もお見舞いに行き、母の手を握り続けるだけしかできなかった。

亡くなったのはその翌日だった。 用事を済ませてから一人で病室に行ったら
もう母は居なかった。 日曜日のお昼過ぎで看護婦の詰め所に誰もいず、まさか
姉の希望通りに転院したのかとも思った。

駐車場に戻り、実家にも兄宅も電話するがかからない。 携帯に兄から留守電が
入っていたのに気が付き、やっと兄に連絡がとれた。 後で聞くと兄の方も
私への電話がかからず、連絡が取れなかったのだという。

母がお昼に亡くなり、今は葬儀会館にいるから、そこに来いという。
葬儀会館の会場に着くと、まだ殺風景な檀上で すでに母は御棺に安置され、
穏やかな表情で眠っていた。
兄達も揃い、姉がやたらと興奮してずっと母のことを話し続けていた。

なぜ家に連れて帰らなかったかというと、姉が近所の人に母が亡くなったことを
知られたくないからと主張したからなのだそうだ。 ここは理解できないところだ
けれど、取り乱している姉の言うとおりに、ということでそうなったのだそうだ。

お通夜というのが無く、翌日は母が安置されている会館でずっと見守り続けた。
亡くなった翌々日が葬儀だった。 母の兄弟や友人たちはすでに亡くなり、あえて
知らせるべき近くに住む親戚もなく、私達兄弟家族と近くに住む孫達だけで見送った。

傍でずっと生活を共にしてきた姉には本当に辛いことだと思うが、私達兄弟に
とっても母だったのだから、当然悲しいのだけど、姉の身を切るような辛さとは
異なるだろう。

母はとても我儘で、いくつになっても大人になり切れないようなところのある人
だった。 年の離れた末の娘として生まれ、若い時は胃痙攣が持病で、父母から
甘やかされ、大事に育てられ過ぎたのだろう。 人の心を慮ることがあまりでき
なくて、自分の気持ちを抑えられない所があり、ずっと傍に居た姉は本当に大変
だったと思う。 我慢強い姉だから傍にいれたのだとも思う。

母は家庭的な人ではなかった。 お料理や家事全般、いまひとつだったが、趣味人で、
芸術的なセンスは驚くほど良いと感心させられたこともあった。

子供の頃、家に母の好きな仏像の写真が何気なく飾ってあって、大人になってから、
それが土門拳の室生寺の釈迦如来像だったり、中宮寺の弥勒菩薩像だったと知った。

50代から糖尿病を患い(そんなに重症ではないのだけど)、死ぬのが怖くて仕方が
なくて、不安から自分の健康状態にばかりに気を取られ、姉を束縛してしまっている
自分に気が付かないような人だった。

思い込みが激しいし、気まぐれや思いつきで周りの家族を振り回しても気が付かず、
はっきり言ってとんでもない性格の人だったけど、自分の母だから仕方がない。
反面教師だとずっと思ってきたけど、心優しい姉はよく母のいうことをきいて
仕えてきたのだった。 それが正しかったとは決して思わないけれど。


経済力は大事だ。 姉は私なんかよりいい大学を出ているし、本当は仕事だって、
しようと思えば出来たのだし、いい縁談もあったのに、なぜか嫁がなかった。
私などより、ずっと良い家庭婦人になれそうな人だったのに。

それに、結婚したら経済力がつくのとは違うけど、それなりの人と結婚したら、
経済的にも安定して、母との共依存のような関係にならずに 違う形で母を助ける
こともできたのではないかとも思う。

結婚する、イコール母を見捨てることにはならないのに、姉は母の呪縛にかかった
かのように頑なに母の傍にいて、母の我儘も何もかも受け入れて面倒をみてきたのだ。
今更、その生き方が間違いだったとは姉には言えないが、やっと母から解き放たれて、
これからは 姉の本当の自分の人生を楽しんでもらいたいと願う。

姉は自分には子供がいないから、というけど、それは姉が選んだ道なのだから、
それは言っても仕方のない言葉だと思う。 子供を産みちゃんと育てるのは並大抵の
ことではない。 ましてや結婚することを拒否してきて、子供がいないと嘆くなんて
筋が通らない。

結婚という、全くの他人と家庭を築いていくというプロセスもそう簡単ではない
のだし、それを飛ばして子供とか、なんでそんなこと言うのか、何か思考が抜けている。

母と二人で一緒にいて影響を強く受けすぎて、姉の思考はかなり偏ってしまって
いると思う。 あの母と一緒にいて、まともな社会性が発達するわけがないもの。


取り留めもなくこの数日思うことを書き連ねてしまったけど、今日はこの辺で。











posted by アメジスト at 09:03| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

実母のこと

4月最後の日曜日、母が亡くなった。

もう96歳で、何が起きてもおかしくない年齢だった。
10月に胃潰瘍の手術をし、奇跡的にというほどうまく回復し、新年を迎える
ことができて、あとは100歳まで、などと思っていたのに。

3月の始めに食事がとれなくなり、2か月ほど入院して、腎不全とかで、
最後は短期間だったけれど延命治療のようなことをするようになり、
その後自宅へ帰れずに亡くなってしまったのがつらい。 

実家で母とずっと一緒に暮らし、滅私奉公のようにして母の世話をしていた姉が、
葬儀が終わって家に帰った後、あの病院で母を死なせたくなくて、自分一人で
奔走していたのに、ほかの兄弟が誰も 本気で助けようとしなかったから、
母を死なせてしまったのだ となじって取り乱し、悲しかった。

誰が自分の母が早く死ねばいいなどと思うだろうか。
姉は母のこの最後の入院の間、今度こそもうだめなのではないだろうか
という気持ちに耐えれなくて、苦しかったのだと思う。
苦しい気持ちは、兄弟誰もが同じ思いだったのだけど。
でも、その病院へ行かざるを得なくしたのも、延命治療を頼んだのも、
姉だったのだから。

今は母が亡くなったということより、姉の精神状態が心配で、兄弟が
何となくまとまっているけど、母の遺産相続をどうするかは問題としてあり、
姉のためにも上手くいけばいいと思う。

財産のある家でも何でもないけど、姉と二番目の兄が住んでいるのが
全て母名義の土地なので、それだけは早くきちんとしなければならない。

なるようにしかならないけど、姉がこの先一人で生活に困らないように
巧く運ばないといけないと思っている。





posted by アメジスト at 01:53| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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